こんにちは♡
一歳の男の子ワーママさーりんです。
読んで下さってありがとうございます♪
育休中に朝から晩までのワンオペ育児に疲弊し、
子どもや帰りの遅い夫に毎日イライラしながらも、
数ヶ月後に迫った職場復帰を目前にして
「正直育休から復帰したくない、、、」
と憂鬱だった過去から、
魅力覚醒講座18期に入ったことをきっかけに
ワーママ1年目にして
時間と心にゆとりのある日常を手に入れ、
本業と育児を両立しながら副業をスタートし、
自分の法人を設立して毎月念願の不労所得を手にしている
ワーママのさーりんです。
読んで下さってありがとうございます。
この記事では、
育休手当をもらいながら、
自分の子どものお世話に専念できるなんて恵まれているはずなのに、
実際は
「育休中、朝から晩まで我が子と2人っきりはしんどい」
↓
「そんな事を思ってしまう私は、母親として最悪」
↓
「かと言って、仕事復帰してもっと大変になるのも嫌すぎる」
このループを一生(笑)くり返していた私が、
仕事や育児を頑張って両立するしかない人生から、
もっと自由で楽しく全部叶えられる人生にシフトしたい!
と一念発起し、
本当にやりたい事を見つけて、
本業のみならず、
副業のブログや不動産投資で自分の法人まで設立し、
1歳の男の子を育てるワーママでありながら、
毎日笑顔で過ごせるようになるまでの道のりを書いていきます。
30代にしてやっと仕事の楽しさというものを体感し(笑)、
ワーママでも時間と心にゆとりを持ちながら
家族とも笑顔で過ごせるようになった私ですが、
ほんの一年前までは
「毎日我が子と2人っきりでしんどい」
↓
「このまま育休から復帰したくない…」
↓
「でも収入を考えると、
仕事と育児を頑張って両立した方が良いだろう」
↓
「でも復帰したら、絶対もっと大変になるーーー!!!」
というループを繰り返し、
正直今の余裕のある自分とは真逆の状態でした。
毎日出勤せず家にいるのに、
育休手当をもらっている私。(合法だけど)
職場は私が休んでいるせいで迷惑をかけているのに、
育休から復帰したくないなんて、
こんな事を思ってしまっているなんて、
当時は口が裂けても誰にも言えませんでした。
あと数ヶ月したら
育休から復帰してワーママになって、
「子どものために」
「家族のために」
例え大変だとしても、
それが私たち家族が幸せに生きていく道なんだから
頑張っていくしかないと思っていました。
私のこれからの人生、
絶対大変じゃん…
正直この時は自分の未来に、憂鬱でしかなかったです。
さらに、0歳児の子どもがいるというのに、
毎日22時過ぎて帰ってくる夫。
私たち夫婦にとって
初めての子どもなのに、
育児よりも仕事ばかり優先する夫に
ストレスが募っていく日々。
夫はこの子よりも、
仕事の方が大切なのかな。。。
なんで私ばかり
こんな負担を背負わないといけないの??
2人の子どもじゃん!!!
自分だけが育児の負担を強いられている事に
正直めちゃくちゃ不満を感じていました。
「仕事も育児も、頑張らないといけない」
「それが私たち家族が
幸せに生きていくために必要だから」
「少なくとも子どもが大学を卒業するまでは…」
これからワーママになって
どんどん大変になっていく自分の将来を考えては、
気が重くなる日々を過ごしていました。
驚愕の事実!
うちの子が一番可愛くない!?
育児は確かに大変な事もあるけれど、
でも我が子ってやっぱり可愛いんですよね。
私は元々子どもが好きなタイプで
街中や電車で子どもを見かけると、
つい目で追ってしまって
「可愛い〜〜〜♡」と言っている人間でしたが、
自分の子どもが生まれてからは、
正直「他の子どもとは比べものにならないレベル(笑)」で
我が子の尋常じゃない可愛さにかなり衝撃を受けました!!笑
「もはや親バカとかじゃなく、
どう考えても、うちの子が一番可愛いのでは?」
と本気で思ってしまう程でした。
(それを世間では親バカと言う…www)
想像を絶する陣痛の後、
無事に生まれてきてくれた我が子を
自分の胸に抱っこした時、
私は今までの人生で経験した事のない
愛おしいという感情を知りました。
妊婦健診の度にストレスだった体重管理も、
コロナ禍で立ち会いもできず
ひたすら1人で耐え抜いた陣痛の苦しみも、
もう一瞬で全部吹っ飛ぶほどの感激で、
「私、生きてきて良かった。。」
「この子に出会えた事が本当に幸せだ」
と何度も感じたのを
今でも鮮明に覚えています。
いまだにその瞬間を思い出す度に
胸が熱くなるし、涙が出ます。
これからどんなに大変なことがあっても、
この子のためなら頑張れるし
乗り越えていかなきゃ!
私がこの子を幸せにしていく!
そんな決意みたいなものも抱いていました。
キャリアも子どもも諦めたくない
「育休」という。
世間的に認められた長期休暇。
社会に守られて、
毎月決まった額の育休手当をもらいながら
「大切な我が子の育児に専念して良い」
だなんて、そんな恵まれた事はない。
働かなくて良い × 可愛い我が子と毎日一緒
= 幸せ(最上級)
この方程式が
いつからか脳内に占拠していた私。w
私が育休を取ってしまって
職場に迷惑をかけているんだから
感謝しないといけない
我が子とこんなに毎日ずっと一緒にいられるのは、
もしかしたらこの育休中だけかも?
復帰したら
こんなにゆっくり過ごす事はできない
今のうちに、
しっかり我が子と関わっておかないと、、、
でも、
毎日自由で幸せなはずなのに、
子どもが欲しいと望んだのは自分たちなはずのに、
「子どもと朝から晩までずっと一緒にいるのがしんどい。。。」
こんな事を思ってしまう自分は
最低な母親。。
「私、母親なのに何を甘えた事言ってるんだろう」
本当はどんな時も我が子に対して笑顔で、
愛おしいと思いたいのに、
それができない自分の未熟さが嫌で
そんな自分を責めてばかりでした。
仕事で毎日帰りが遅い夫にも
「もっと早く帰ってきて育児もやってほしい」
と不満をぶつけてしまう自分。
夫だって遊んでいる訳じゃない
むしろ私が育休で給料が減っている分、
夫が仕事をしてくれて金銭的にも負担かけているから
感謝しないといけないのに、
イライラばかりぶつけてしまう自分。
本当はもっと、
我が子の寝顔を夫と2人で眺めて笑い合ったり、
「今日、こんな事ができるようになったんだよ!!」
と日中の我が子の可愛い瞬間を
楽しく共有できたら幸せなのに、
それが出来ない自分。
ワンオペしんどい
育休の今ですらしんどいのに、
これから育児と仕事の両立なんて
絶対ムリ。。。
———絶望———
一日中我が子の育児はしんどい
↓
かと言って、
育休から復帰したらもっと大変
↓
でも仕事辞めたら収入もなくなるし、
それで私たち家族が苦労するのは嫌
この悩みが堂々巡りで、
今後に対して漠然と不安な日々を送っていました。
もちろん、
私もこの子がお腹の中にいると分かった時から
子どもが生まれたら大変になる事ぐらい
理解していました。
慣れない育児で余裕がなくなってしまう事も、
子どもが一歳になったら育休から復帰して
仕事と育児を両立していかないといけない事も
全て想定の範囲内でした。
自分より先に出産した学生時代の友人を見ても、
みんな「大変な時もあるけど、可愛いよ」と言っていたし、
大体旦那さんは忙しい人だからワンオペでやっていたし、
職場の先輩を見ても、
ほとんどの先輩が
子どもが1歳になるタイミングで復帰してきていました。
だから、
私も周りの人たちと同じように
どんなに旦那の帰りが遅かろうが、
慣れない育児で大変だろうが、
自分の子どもなんだから
やるのが当たり前だと思っていたし、
子どもが1歳前後になったら
職場に復帰しなければと思っていたのです。
頭ではそれを理解できているのに、
育休中のワンオペ育児に行き詰まって
家族にイライラして、
仕事にも復帰したくないと
甘えてばかりの自分。
こんな事を思っている私は、
母親としての自覚が足りないんだ
完全に自信がなくなり、
自分が怠惰な人間になっていっているようにも感じて、
罪悪感が募っていきました。
ワーママでも大変じゃない
生き方を手に入れた現在
「仕事と育児の両立=ワーママ」に
大きな不安を抱いていた私ですが、
現在では当初の想定よりも
時間にも心にもゆとりがあって、
ワーママでも全くしんどくならずに
毎日を過ごせています。
時短勤務で
過去最低のお給料になるのを恐れていたのですが、
収入も過去最大に増やす事ができ、
経済的なゆとりまで手にしました。
それによって
ずっと漠然と抱えていた
「自分の将来や、仕事と家庭の両立に対する不安」が解消され、
毎日幸せで、未来にも安心した気持ちで生活する事ができています。
近くに親がいる訳でもなく、
基本的には夫との生活ですが、
「大変だけどとりあえずやるしかない」という
かつての考え方から方向転換した事で、
気持ちの面でもゆとりが生まれ、
仕事も今までの人生で一番楽しむ事が出来ています。笑
そして何より、
ストレスの根本がなくなったおかげで、
常に自分がゆとりのある状態でいられるので、
家族対しても
常に愛情を持って接する事ができ、
私だけでなく
夫や我が子までもが
笑顔で過ごせる日常へと変化した事が、
私にとって「本当に良かった」と感じる変化です。
これから先、
2人目ができてさらに大変になったとしても、
「モヤっとしても飲み込んでその場をやり過ごす」以外の方法で、
お互い我慢せずにみんなが幸せであり続けられると確信しています。
そんな、
未来への安心感を得られるようになった事も
私にとっての驚きの変化です。
育休、控えめに言って
最高すぎる!?
夫と結婚してダブルインカムになり、
自分の計画通りにキャリアも構築。
職場でもちゃんと
一目置かれる立場になったタイミングで
第一子を妊娠。
自分で思い描いていたライフプランを
一個ずつ積み上げていけている事に
安心感を覚えていました。
出産直後に対面した「初めての我が子」は、
それはそれは可愛くて、
もう想像していた可愛さの
何十倍も何百倍も超える愛おしさで、
これまで味わった事のない感激で胸がいっぱいでした。
明け方の出産だったので
その日はほとんど寝ずに出産したにも関わらず、
翌朝も嬉しさでなのか興奮状態で?
全く眠気を感じず。笑
身体は疲れているはずだけど、
とにかく我が子を見たさに
あちこち痛いけど何度も新生児室に足を運んだり、
友人や家族に報告のLINEをしたりと、
幸せで仕方ない日々がスタートしました。
ずっと母子同室ではなかったので、
空き時間には楽天ルームで
可愛い哺乳瓶やお洋服をポチったり、
同じ月生まれのママさんのアカウントを
インスタで見つけてフォローしたりと、
悠々自適に過ごしました。
毎食、
ちゃんとした豪華なご飯や
手作りおやつが運ばれてきて、
快適な入院ライフ。
最初はなかなか母乳が出ず、
我が子も上手く吸い付けなかったので
ミルクを毎回足しながらで、
「退院後の生活大丈夫かなぁ」
と不安はありましたが、
「まぁなんとかなる!」と
そこから本格的な育児生活がスタートしました。
私の夫は
育休を取れるような雰囲気の職場ではなかったのと、
私自身も里帰りはしなかったので、
基本的に日中は私と我が子2人での生活でした。
「初めての育児だし、
基本ワンオペだから多分大変になるだろうな〜」
と心してはいたけれど、
いざ始まってみたら
正直「産前まで毎日仕事をしていた日々」に比べたら
屁でもないほど楽な生活でした。
妊娠する前も、
翌日の仕事が休みとあらば
夜更かしをして好きなドラマをエンドレスで観たり、
YouTubeやインスタを見ながら
ゴロゴロするのが日課だった私は、
とにかく
「次の日の朝に、早起きをしなくて良い」
のが嬉しすぎて、
休み前日の夜が、その頃の人生で一番好きな時間でした(笑)。
そして、日曜日の夜は
翌日早起きをしなければならないために
決まって憂鬱になっていました(笑)。
育休中も、
別に決まった時間の出勤がある訳ではないし、
自分の育児を他の誰かに監視されている訳でもないので、
言ってしまえば基本は私本意。
「規則正しい生活リズム」
「早く寝て、早く起きる方が良い」
というのが大のストレスな私は、w
毎日好きな時間まで起きていられて、
朝も好きな時間までゴロゴロできて、
決まった時間に出勤する必要もなければ、
圧の強い上司の機嫌を伺いながら
周りに気を遣う必要も全くない
育休中の毎日は
控えめに言って最高。w
さらに好きな時間にご飯を食べて、
ゴロゴロして、
泣いたら授乳して、
起きて授乳するのがきつい時は、
自分が寝ながら添い乳すれば良いし、
定期的にオムツを変えて、
沐浴して、、、
そして
「我が子が寝ている時間は、
全て自分の自由時間!!!」
インドアな私は、
特に産後といっても
「外に出かけたい欲」なども全くなく、
毎日YouTubeを見たり、
Amazon primeで「恋つづ」や「逃げ恥」、
「校閲ガール」、「バチェラー」など
好きだったシリーズwを
我が子が起きるまで一気見したりと、
何にも縛られずに
自分の好きなように過ごせるのが最高でした。
もちろん
初めての育児で慣れない部分や、
深夜に泣き声で起こされて
授乳したりお世話したりはあるけれど、
所詮は
「自分の大切な可愛すぎる我が子!!!」
多少の睡眠時間を
一瞬削られる事は
当時はそこまで負担には感じませんでした。
と言うのも、
眠ければ、
翌日の日中に
我が子と一緒に寝ていれば良いし、
ひたすらゴロゴロできるのが
ストレスフリーだったからです。
「もうすぐハーフバースデーか〜
どんな写真を撮ろう?」
「ぼちぼちリッチェルとか、
ハイチェアとか、ブレンダーとか、
離乳食の準備も始めた方が良いのかな?」
自由時間に
インスタのママ垢を見ては、
そんな事を考えていました。
5ヶ月になった我が子は
時々笑ったり声を出してくれたりして
さらに可愛く感じるし、
泣いても授乳すれば
そこから永遠に泣き続けることもないし、
仕事には行かなくて良いし、
育休手当という不労所得wは
毎月ちゃんと入ってくるしで、
「ちょっと待って!
育休ってもしかして最高すぎない???」
とか思ってしまっていました。
そして、
「このままずっと自由で、
誰にも気を遣わずに、
可愛い我が子との時間を満喫できたら
どんなに幸せだろう」
とも思いました。
当時はまだまだコロナ禍で、
免疫もそこまで確立していない
低月例の赤ちゃんを育てていたのもあり、
育休中に気軽に友人と会ったりは
できませんでしたが、
そもそも周りにかなり気を遣い、
友人に対してでさえ、
気疲れするタイプだった私は、
むしろ
「育休中で時間はあるけど、
コロナを理由に誰とも会わなくて良い」
というのは好都合だったのです。
大好きな家で、
自分の好きな事だけをしながら、
育児も別にしんどいと感じる事なく、
たぶん今までの人生で
一番ストレスフリーな生活(笑)を
送っていました。
我が子は愛おしく、
家でダラダラゴロゴロしながら
子どもをあやす時間が至福の時でした。
育児には慣れてきているのに、
逆に大変になっていく
ですが、
子どもが寝がえりをし始めて
離乳食が始まる頃から、
少しずつ
育児の大変さを
感じるようになっていきました。
それまでは動き回る事もなく、
基本はねんねしていて、
泣いたタイミングで授乳をすれば
大体機嫌も直るし、
可愛くて穏やかな日々だったのに、
寝返りをするようになってから急に
「今、顔の向き大丈夫かな?」
「あれ?大人しいけど、
もしかしてうつ伏せになってない?」
と心配になるタイミングが増えてきました。
そして
離乳食を始める時期が近付き、
空いた時間にYouTubeやネットで調べる日々。
離乳食もなるべく
ストレスにならない感じで進めたいな〜
YouTubeでは
「なるべくお母さんの愛情を与えて」
「食育は赤ちゃんの事から始まる」
と手作りを推奨する記事を目にする一方、
「どうせ食べないんだから適当で良い」
「まだしばらくはミルクや母乳と併用するし、
離乳食だけで栄養を取る訳じゃないから、気楽に」
という記事も見かけ、
どうするのが正解なんだろう…
と思いながらも、
時間だけが過ぎて月齢が進んでいく我が子。
地域の離乳食教室とかに
行った方が良いのかなぁ、、、
でも、この暑い中
我が子を抱っこ紐に入れて
公民館まで行くのとか正直ダルイし、
めんどくさい。。。
結局、離乳食教室の予約すらせず、笑
とりあえずアカチャン本舗で
適当に無添加のレトルトや食器をいくつか買って
お湯で溶かすタイプのおかゆからスタート。
たまに野菜パウダーとか、
豆腐のすりつぶしとか、
コープの冷凍白身魚を混ぜたりしつつ、
基本はお湯に溶かすか
レンジでチンしてあげていました。
インスタとかでよく見かける
サイベックスのハイチェアとか、
ベビー用の椅子を用意するもの勿体なくて、
元々持っていた
バウンサーに座らせて
離乳食を食べさせていました。
それでも、
我が子なりに口にしてくれていたし、
少しずつだけど食べられる食材も増えていたし、
何より毎日機嫌が良くて
元気な我が子。
「離乳食の進み方なんて赤ちゃんによって全然違うんだし、
そんなに神経質にならなくて大丈夫」
と色んな記事でも読んではいたし、
私は元々自分が完璧主義なタイプで、
何でも頑張ろうとして疲弊しやすい性格なのを自覚していたので、
我が子の初めての離乳食では
「肩肘張らずにやるくらいの方が、ちょうど良い」
と思っていました。
とはいえ時々
「このままで良いのかな?」
「やっぱりもっと手作りのものの方が良いかな」
と不安に感じる事はありましたが、
「いや、そもそも完璧な子育てなんてない!」
「私と我が子に合った方法でやっていくのが一番だよね!」
と思い直し、
それからもなるべく
自分に取ってストレスにならないような意識で
過ごしていました。
小児科検診、
正直かなり億劫
そんな中、
毎月のように
予防接種や検診で小児科に行く機会がありました。
そこでは毎回
必ず赤ちゃんの体重測定も
ついてきました。
少しずつ体重は増えてきているし、
グラフが停滞している訳ではありませんでしたが、
毎回決まって
成長曲線よりも下回っている我が子の体重。。。
母子手帳にも毎月のように
「体重フォロー」と記載されました。
小児科の診察でも
「お母さん、離乳食どんな感じ?」
「ちゃんと決まった時間に食べさせてる?」
「グラムとか測らなくて良いから、
食べなくなるまで食べさせてね」と、
毎回同じような事を言われていました。
別にグラムとか計ってる訳じゃないんだけどなぁ…
そもそも、用意しても
うちの子がそれ以上食べないだけなんだけど…
無理やり食べさせるて
食べるのがキライになっても嫌だし、
毎日元気でニコニコしてるなら良くない?
毎回モヤモヤ。。
「体重が増えていないのが私のせい」
「私が母親として不十分だから」
と言われている気さえしてしまい、
正直小児科での体重測定は毎回億劫でした。
ですが、一方では
・準備が楽な離乳食ばかりあげている自分
・本のやり方で離乳食を進められていない自分
に対して、やっぱり罪悪感がありました。
本当はもっと
手作りのものを食べさせた方が良いのに
出来てない自分ってダメだよね、、
体重がこのまま増えなかったら
やっぱり私のせいだよね?
甘えすぎ?ダラけすぎ?
こんなダメな私に育てられて、
この子は大丈夫かな…
そんな負のループを
何度も繰り返していました。
育休を取ってくれる
他の旦那さんがうらやましい
私は里帰りはせず、
夫と私と我が子の3人暮らしで
育児をする事を選びました。
出産の予定日が近付いた頃、
私は何気なく
夫に育休について聞いてみた事がありました。
男性で育休を取ってる人って他にいないの?
あなたの職場も後輩だっているし、
少しくらい育休取ったりできないの?
同じ職場ではなかったものの、
夫と同業の私は、
私だけが職場に迷惑をかけて
申し訳なく感じながら育休に入らせてもらい、
夫はのうのうと
これまでと同様に職場にも迷惑をかけずに、
頭も下げずに働けることに
少し不公平感を感じていました。
てかなんで2人の子どもなのに、
私だけ職場の上司に頭下げなきゃいけないの?
私の苦労、
分かってんの!?
私だって
あなたと同じように
これまで第一線で頑張ってきたのに!!
あなただけ何の苦労もせずに
子どもが生まれて、
パートナーに育ててもらえるなんて
許せない!
そんな感情が芽生えていました。笑
とは言っても、
夫の職場は周りは男性ばかり。
夫婦で同業で、
共働きの人は
私たち以外に誰もいませんでした。
夫の同僚や、
夫の上司の奥さんはみんな専業主婦。
そもそも、
仕事は旦那さんがやって、
奥さんは家の事をするのが
当たり前の人たちなのもあり、
「男性が育休を取る」という文化がない職場。
そこで、
夫がいきなり
「子どもが生まれるので育休取得したいんですけど」
とか言いでもしたら、
多分周りから理解は得られず
夫がただ非難を浴びる可能性すらあるだろうという事は、
同業の私には容易に想像できました。笑
だから、SNSなどで
「育休をとってくれる旦那さん」
の投稿を見たりすると、
「男性の育休に理解のある職場で良いなぁ」
「仕事よりも奥さんや子どもの事を
大事にしてくれる旦那さんなんだなぁ」
と羨ましく思ったりすることも
ありました。
正直
「自分が育休を取ろうと試みようともしない夫」
に不満に思いつつも、
でも
「とはいえ夫も現実的に無理なんだからしょうがない」
と飲み込みながら、
「私が、頑張らなきゃ〜」と思っていました。
頻回の授乳より大変な事
そして、
基本平日は朝から晩まで
我が子と2人の生活がスタートしました。
最初は寝て、
母乳を飲んで、
オムツを変えて、
沐浴してというサイクルで、
動き回る事も、
激しく自己主張する事ない
赤ちゃん。
ただただ
「今日も可愛いな~」と癒されて
幸せを感じる日々でしたが、
5カ月を過ぎた頃から、
寝返りをしたり、
離乳食がスタートしたりと、
それまでとは違う工程が増えてきました。
月齢が進むにつれて
その都度必要な事を毎回調べたり、
そのグッズを揃えたり、
少しずつ私の苦手な昼や夜の生活リズムwを
つけていけなければならないことが
正直大変に感じるようになってきたのです。
日中の決まった時間にお散歩とか行きたくないし、
そもそも外に出るのも苦手、、、」
離乳食もこんなにちょっとの量なのに、
色んな食材をバランスよく準備するのムリ
そもそも生活リズムを整えるとか、
ねんトレとか、
そういう
「規則正しい生活」みたいなのが大の苦手な私は、
我が子の睡眠リズムを整えたり、
そのために自分も早寝早起きに変えるのが
どうしてもストレスで、
「赤ちゃんなのに夜行性」という、
不健康な状態に我が子をしてしまっていたのです。
一生忘れないお正月、、
実家で起きた大喧嘩
そして
事件は年末に起こりました。
夫と我が子と3人で、
私の実家に帰省していた時の事。
それまで、
みてねのアプリで
我が家に赤ちゃん用のハイチェアがない事や、
バウンサーで離乳食をあげている動画を見ていた母は、
ただ数日間帰省すると言うだけなのに、
孫のために4万円近くする
STOKKEのハイチェアを買っていました。
最初は、
「孫が帰省してくるのが嬉しくて揃えたのかな?」
くらいに思っていた私ですが、
のちになぜ母がそれを準備していたのかを
思い知る出来事が起きてしまいます。
私たち家族は
帰省して2泊以上は実家で過ごしたので、
そこで、
・私や我が子が何時に起きるのか
・何時に授乳したり離乳食を食べているのか
・日々どんな遊び方をしていて、何時に寝るのか、
全てが私の両親にバレてしまったのです。
朝11時近くまで起きずに寝ている赤ちゃん、、、
朝ごはんは食べずに添い乳で終わり、
起きてきて一食目はもうお昼の時間帯。
そして、
月齢が8か月を過ぎているにも関わらず、
ハイハイをしない赤ちゃん。
お座りも1人ではままならず
支えている手を外すと、
すぐにコテンと横に倒れてしまう赤ちゃん。
決まった時間にお昼寝をする訳でもなく、
何となく寝たらそのまま寝かせて、
夕方頃に起きたらオムツを変えて、、、
というリズムも何もない普段の生活っぷりが
どんどん露呈されていきました。泣
さらには、
深夜1時を過ぎてもキャッキャ言って
全く寝る素振りもない赤ちゃんを見て、
さすがの母も黙っていられなくなったのか
元旦の夜にその事件は起きたのでした。
ー母ー
「あのさ、、、発達とか、食事の事とか、小児科の先生から何か言われたりはしてない?」
ー私ー
「、、、なに?急に」
別に、今まで一回も異常とか言われた事ないけど?」
ー母ー
「それなら良いんだけど、さすがに0歳児の赤ちゃんが、
こんな深夜まで毎晩起きているのは大丈夫かなって」
「この子は小食ってこの前言ってたけど、
うちではお味噌汁もお代わりするし、
バナナとかヨーグルトとか
こんなにたくさん食べてるじゃない?」
「うちでちゃんと椅子を準備してあげたら
こんなに食べるって事は、
やっぱりあんたの家の環境が良くないんじゃないかなって」
「ハイハイしないのも、
お座りがまだ安定していないのも心配よ」
「あんたがいっぱいいっぱいなら
母さんもっと手伝うし、言って」
母は、
決して怒ったり感情をあらわにして
私に説教している雰囲気ではありませんでした。
ただただ、
さすがにこの崩れすぎた生活リズムや、
発達や体重がゆっくりな孫の様子を
目の当たりにして、
見て見ぬふりはできなかったんだと思います。
でも、
私は過度に母から干渉されているのが不快で、
さらに私の
「自分でも気がかりだった育児の事」
について真っ向からダメ出しを
されているような気分になり、
一気に怒りのスイッチがONになりました。
ー私ー
「何が言いたいの?」
「異常と言われたことないし
大丈夫に決まってんじゃん!」
「そもそも月齢とか発達ってタダの目安でしかないのに、
それを型に当てはめたように、いちいち言ってくるなんて
時代遅れもはなはだしい!!!」
「そういうのを気にして親が一喜一憂してたら、
逆に子どもが可哀そうだっつーの!」
「お母さんマジで余計なお世話なんだけど!」
「私のことも、いつまで子ども扱いしてきてんの?」
「そんな事言ってくるくらいなら、
もう私たちに関わらないでほしい!」
と気付いたら叫んでしまいました。
一度スイッチが入ったら、
もう自分でも抑えることができず
言うしかありませんでした。
母にちょっと言われた事で、
「母親としての自分が出来ていない部分」を
責められている気になり、
とにかく母の言動の全てが
不快で不快で、
そこからお互いヒートアップして
大喧嘩に発展しました。
ー母ー
「あんたがこの先後悔しても遅いんだよ!!!」
「もうこの赤ちゃんの時期は
二度と戻ってこないだからね!」
「あんたは、これで良い!
親が神経質にならん方が良い!
とか言ってるけど、
母さんからしたらあんたが自分で自分に
酔っているようにしか見えない!」
「自分を正当化してんじゃないよ」
「この子が可哀想!!!」
それを言われた私も、
もう怒りの感情を通り越して、、
ー私ー
「そうやって干渉してくるの、
マジでうざいんだけど!!!」
「迷惑でしかない!」
「そうやって、
この時期は二度と戻ってこないとか言ってんのは、
お母さんが自分の子育てでの後悔があるからでしょ?」
「いっつも仕事に追われて、
私たちにはイライラしてて、余裕なかったもんね!!!」
「規則正しい生活を送りなさい!とか
私らが子どもの時から散々言ってきてたけどさ、
そういうお母さんの言葉がずっとストレスだったんだけど!」
「お母さんは、
ダラダラしたりいつまでもドラマ見てたら
よく怒ってきてたし、
早起きして、なるべく早く寝て、
規則正しい生活を送るのが素晴らしいと
思ってるかもしれないけど、
世の中にはそれがストレスな人もいるんだよ」
「いつもかつも、
自分が一番正しいみたいな顔して、
こっちに指示してくるの、いい加減辞めてほしい」
「もう本当に迷惑だし、マジで気分悪いわ!!!」
ー母ー
「そりゃ悪かったね!!!」
「誰のおかげで大きくなれたと
思ってんだ!!!」
私は、
深夜で父や夫は寝静まったリビングにも関わらず、
怒鳴り散らしながら、
母を責めまくりました。
私の声の大きさのあまり、
そばでニコニコ遊んでいた我が子も
びっくりして大泣きをし始め、
母とは言い合いが収まらず、
お正月の実家なのに最悪の地獄絵図でした。
私と母だけでは
らちが明かなくなり、
近くでPC作業をしていた妹がついに口を開きました。
「姉ちゃんの気持ちも分かるよ」
「お母さんは、ちょっと
人を追い詰めるような言い方をする時があるけんね」
「まあ、お母さんの言いたい事も分かるけどね」
「今日はもう寝ようか」
妹の大人な対応で、
少しだけ気持ちが落ち着いた私は、
夫の眠る実家の和室に
我が子を抱っこして戻ったのでした。
一番突かれたくないところを突かれた
悔しさ、
怒り、
やるせなさ、
その場で感情が抑えられずに言い返してしまったけれど、
正直
母から言われた事は
私が内心一番気になっていた事でした。
図星というか、
認めたくない「母親失格な自分」を
一気に突きつけられたような気がして、
横で寝ている夫のいびきを聞きながら、
深夜にも関わらずまだ目がランランと輝いて
寝る素ぶりの全くない我が子を抱っこしたまま、
私は涙が止まりませんでした。
こんなだらしない母親ごめんね
私のせいで、
この子が不幸になっていったらどうしよう」
私がもっと母親としてちゃんとしていれば、
体重が毎回軽くてフォローになったり
発達の遅れもなくスクスク育ったんだろうか
やっぱり、私のせいで全部こうなっているのかな
もう後悔しかありませんでした。
我が子への申し訳なさに
飲み込まれそうにながら、
その晩は眠りにつきました。
翌朝、目が覚めた夫に、昨晩の母との一部始終を全部話しました。
母は、私と我が子が寝ている和室まで声をかけにきました。
ー母ー
「昨日は言い過ぎたね。良かったら、ちょっと話せないかな?」
一晩明けても母と話をする事すら嫌だった私は、
「ごめんけど、今はそういう気になれない。
そこの扉を閉めてほしい」
とだけ言いました。
これまでも、学生時代に母と言い合いになった事は何度もありましたが、その度に少し時間を置いてから母が私の部屋に来て、今回と同じように「さっきは言い過ぎてごめんね。話ができる?」というひと声で、お互いに思いを伝えならが謝ってその場を納めてこれていました。
ですが、今回母からしたら思ってもみなかった私からの言葉に、少し動揺したようにリビングに戻っていきました。
実家には泊まっているので、同じリビングで食事をしたり、我が子のお世話をしたりはしましたが、私は一切母と直接会話はしませんでした。
そして、同じ空間にはいるけれど全く目も合わせませんでした。
同じくリビングにいた父や妹とは軽く話をしましたが、母とだけは一晩たって冷静になった頭でも、今は関わりたいとは思えず、少し微妙な空気感のまま、実家を出発する時間が近づいてきました。
ある程度、昨晩何があったのかは察しがついている父が、
「またいつでも遊びにおいでね」「いつでも帰っておいで」とだけ声をかけてくれました。
多くを語らない父なりの優しさが伝わってきて胸に刺さりました。
私は、涙をこらえ、うつむいたまま「うん」とだけ答えて、車に乗りました。
「お世話になりました」と夫が挨拶をしながら、私は下をむいたまま、結局母には一言も発さずに実家を後にする事になりました。
1月2日の昼下がり。。。
新年にも関わらず、私にとってはどんよりと重く、最悪の状態での2023年の幕開けとなったのでした。
もう一つ気がかりだった事
母と険悪な雰囲気のまま自分の家に戻ってきた私は、
「お母さんにちょっと言い過ぎたかな…」
「何か言ってる?」
とまだ実家にいた妹にLINEをしました。
「お母さんの事は、私がフォローしておくから安心して」
「今はお母さんの事は忘れて、育児のやり方にちょっとでも後悔があったのなら、もう他の事は考えるのも辞めて、いったん休んで、子どもとの時間だけを大切に過ごしたら良いよ」
そんな風に妹に言われ、実は私は育休中にやっていたもう一つの事についても向き合わざるを得なくなりました。
実は私は、まだ予定日を迎える前、産休に入った頃にある思いが出てきていたのでした。
それは、「毎日朝起きて、出勤しなくて良いなんて最高すぎる、、、」
これでした。
私の本業は、在宅勤務がない職種です。
コロナ禍第1波か第2波の頃、世の中ではリモートワークが普及し、ZOOMというサービスが瞬く間に認知されました。
ニュースでリモートワークを推奨する政府の報道を見るたびに、在宅勤務やリモートワークを選ぶ権利さえなく、その選択肢すらない職種である事に私は不満に思いました。
「リモートワークで、毎日電車で出勤せずに好きな自宅で誰とも直接会わずに仕事ができるなんて良いなぁ」と羨ましく感じていました。
そんな私が数年越しに、産休に入り、出勤という義務から一時的にでも解放された瞬間に、その快適さに喜びを覚えました。
「自宅で仕事が出来たらどんなに幸せだろう」
「もう満員電車で、気分悪くなりながら出勤したくない」
「自宅で仕事が出来たら、子どもとの時間も取りやすいかも」
そんな思いから、私は産休・育休中の時間があるうちに、何かできる事を始めようと思うようになりました。
「オンライン 副業」
「在宅 ママ 仕事」
そんな単語で検索したり、クラウドワークスやココナラのアプリをインストールしてライターの仕事というのを初めて知ったりと、色々リサーチしていた頃、理想的なある仕事に出会いました。
それは、SNSで発信をして、そこから自分オリジナルのサービスを提供するフリーランスという働き方でした。
「会社に雇われなくても、一般的な給料以上に稼いでいる同世代の人がいるなんて、、、」
私は最初、衝撃を受けました。
パソコンやスマホだけで、好きな場所で好きな時間に自分のやりたい事や得意な事で楽しく収入を得ている人たちに憧れを抱くようになりました。
「私もこんな風になりたい!」
「そしたら、今までのように職場の人たちに気を遣いながら働くのからも解放されるかも」
産休や育休中に自分の好きな時間に好きな事ができる事に心地良さと幸せを感じていた私に取って、それはまさに理想的な働き方でした。
そして、育休中に見よう見まねでSNSの発信を始めました。
「特にこれと言った強みもない自分だけど、コツコツやっていたらもしかしたらフォロワー数が増えて、影響力がつく日がくるかもしれない」
「大変な中で毎日出勤して、毎月決まった額の給料をもらう仕事の仕方だけじゃなくて、もっと自由に、好きな時間に好きな事でちょっとでも収入を得られるなら…」
そんな思いもあり、とりあえずスタートしてみた発信。
副業に以前から興味のあった私は、育休の時間のあるうちに何かちょっとでも収入に繋がる新しい事を始めたいと、最初は楽しみながらやっていたのでした。
でも、次第に数字やいいねの数に追われ、楽しいではなく「せっかく始めたんだからやらなきゃ!」という義務感で、何の実績もスキルもない私がいきなり始めたところで、そう簡単に上手くはいきませんでした。
最初は、「家にいながら、育児の合間に自分の得意な事で誰かの役に立てて、それが収入に繋がるなら最高じゃん」という目的の元、その手段としてSNSを始めたにも関わらず、気付いたらSNSでフォロワーを増やす事や多くのいいねをもらう事が目的になっていて、いつしかやみくもにフォロワーを増やすことだけを追うようになり、そこにかなりの時間と労力をかけたにも関わらず、本来の目的であった副業として収入はいつまで経ってもゼロ。。。
「やっぱり、自分にはこうやって好きな時間に好きな事で収益化するなんて無理なんだ」
「元の職場に戻って、真面目に働くしかない」
「それが結局真っ当な生き方なんだよね」
最初は「やってみたい!」と思い始めた発信で苦しくなっていた自分がいたのです。
その片手間で、子どものお世話をしながら、私は我が子との時間に癒されている気でいましたが、肝心の我が子の食は細いままだし、毎回体重は成長曲線を下周りフォローが入る。。。
さらに、検診でお座りのチェックがあった時は正直ヒヤヒヤで、
「まだ完全に自力でお座りができない我が子を見て、小児科の先生に何て言われるだろう、、、」
「発達の遅れがあると言われたらどうしよう」
「お母さんもっとちゃんと赤ちゃんと関わらないと!とか言われたらどうしよう」
と不安で不安でたまらなかったです。
「私って何がやりたいんだろう?」
「育休からは復帰したくない、、、元の職場になんて正直戻りたくない」
「また満員電車の中、ストレスを抱えながら出勤したくない」
「かと言って、我が子と毎日朝から晩まで2人でべったりは正直しんどい」
「育児に専念して、専業主婦として生きていくのもなんか違う」
「職場の人たちに気を遣わずに、自分の家で本業以外の収入を得られるようになれば思って発信を始めたのに、収益化できないどころか、発信自体が苦痛になってしまっている」
「このままだとずっと無駄に時間だけかけて、収入ないままじゃん」
「やっぱり本業に復帰するしかない?」
「でも保育園とかに、大切な我が子を預けて大丈夫?って思ってしまうし」
そんな中、そこに追い打ちをかけるように我が子の成長発達の遅れ・睡眠リズムと生活リズムの不規則さに実母からダメ出しを受け、仕事も、育児も、母親との関係性も、全てが行き詰まり、自分のやりたい事も分からなくなってしまいました。
中でも、育休中にも関わらず、一番大切なはずの我が子にちゃんと向き合えていなかった自分が本当に嫌で嫌で、自分の母親としての不完全度合いを認めざるを得ない状況だったのが本当に辛かったです。
「私は本当は何がやりたかったんだっけ?」
「仕事と育児を両立しながら、幸せな家庭を築いていく!と決意したはずなのに、正直育休から復帰したくないし、かと言ってこのまま育児に専念するのもしんどい」
完全に自分の人生の方向性を完全に見失ってしまって、先が全く見えない状態でした。
変わるきっかけ
全ての状況を把握した妹から、
「姉ちゃんは今疲れてるだけだから大丈夫」
「とりあえず、一旦色々休んでみても良いんじゃない?」
「本当は負担になってた発信も、辞めなくて良いからさ、一旦数ヶ月だけでも休んでみたら?」と言われて、私は少し衝撃を受けました。
「私、疲れてんの?」
「別に毎日仕事に行ってる訳じゃないし、てかそもそも育休中で一番ヒマで時間にもゆとりがあるはずなのに?」
「今の自分が疲れてる!?本当に?そんな事ある?」
「妊娠中にフルタイムで仕事してた時の方がよっぽどきつかったし大変だったよ?」
最初は妹の言葉に半信半疑だった私ですが、妹の半年前の「仕事と趣味の活動の配信を両立しようと頑張ってて疲れてしまって、どっちも上手くいかなくなって行き詰まったところから、一旦配信を半年間休んでみたところから、少しずつ色んな事が上手くいった」というエピソードも私の背中を押してくれて、やっと一旦休むという決意がついたのです。
「今までやってきたものが、、苦労が、水の泡になるんじゃないか?」
「無駄になるんじゃないか?」
そんな不安や葛藤で、休むのが怖かった私ですが、「このまま、仕事も育児も家族との関係も曖昧で、どれもうまくいかない今の生き方から抜け出したい!」と思いました。
妹の言葉を信じ、他の「やらなきゃ」と思っている事は置いておいて、休もう!その先にいつ頃仕事や育児、母親との事が解決するかは分からないけど、とりあえず妹の言う通りやってみよう!と決心したのです。
同じ悩みを抱えていた女性との出会い
少しでも負担になっていた事を全部一旦ストップして、ただ我が子との時間だけを満喫しているうちに、我が子はお座りできるようになり、ずり這いもするようになっていきました。
その後の検診でも特に何か発達で引っかかる事はなく、これまでずっと後ろめたさを感じていた「育休中なのに育児をちゃんとやれていない自分」からは脱する事が出来ましたが、それと同時に今度は「一日中我が子の面倒を見るのはやっぱりしんどいかも…」と思うようになっていったのです。
毎日可愛いとは思うけど、少しずつ後追いが始まった我が子は、私がちょっとリビングから離れてトイレに行くだけで、ギャン泣きするようになりました。
洗濯物を回したり、食事の準備をしたり、たった数分であってもそばにいない事が分かると泣き続け、常に抱っこやあやしていないとぐずるようになっていきました。
「私、今日この子の事以外何もしていない」
「こんな生産性のない毎日で、大丈夫なのか?」
「本当は仕事の事や、実母との事をどうするか、ちゃんと考えないといけないんじゃないか?」
という思いが出てきました。
そんな時、たまたま流れてきたとある女性の発信が目に飛び込んできました。
その女性は、現在最新刊の書籍が10万部越えの大ヒットとなった著者・起業家として最近大注目されている女性であり、2人のお子さんを育てるママでもありました。
全てに置いて半信半疑
その女性は、「世の中の虐待をなくしたい!そのためには、私たち女性が仕事と育児を楽しく両立できる方法をこの日本社会に広める事が必要だ」という思いの元起業され、キッズライン代表者の方とも交流がり、子ども食堂に寄付をしたりと社会的にも影響力のある小田桐あさぎさんという女性でした。
あさぎさんは、発信の中で
「結婚して世帯年収1,000万円、それなりの綺麗なマンションに住んで安定した暮らしを手にしながら、子どもにも恵まれて、育休に入った頃」の心境として、こんな事を話していました。
「仕事をするのは好きだけど、一生やりたいかどうかは分からない」
「これからワーキングマザーとして仕事と育児を頑張って両立していくしかない、、」
「本当にこのままの人生で良いのか?」
と葛藤していたというのです。
そして、そんな葛藤していた育休中から、ブログをスタートした事をきっかけに、今では仕事は自分の好きな時間にのみ稼働して年収は当時4億超え、旦那さんと結婚12年を迎えても一度も喧嘩したことがなくてラブラブ、、最高の教育環境を整えるためにドバイに移住し、仕事も、家族も、収入も、外見も、全て自分の理想を叶えて強欲に生きられるようになったと話していたのです!!!
「え???この前半の育休中の葛藤の話は、まさに私じゃん!!!」
仕事と育児の両立を頑張るワーママとしてのこれからの人生に対してモヤモヤしていたのは、私だけじゃなかったのかも!と思いました。
と同時に、このあさぎさんの話の後半(育休中にブログを開始して年商4億超えからのくだり)に対しては、最初は正直「あり得ない!!!」と思いました。
だって、「育休中にちょっとブログを始めてみたくらいでそんなとんとん拍子に上手く行ったなんて、そんな綺麗ごとみたいな話、そんなに世の中甘くない」としか思えなかったからです。
そして、「あさぎさんはたまたま起業して上手くいって仕事を辞められて、好きな事だけで海外にいながらそこまで収入も得られるようになったんだろうけど、私のような普通の人間は、結局辛い事があったとしてもニコニコしながら真面目に働くのがいち大人として正しい事だし、育児との両立が大変だったとしても、それ込みで子どもを産む事を選んだのは自分だし、母親として我が子にどんなにイライラしたとしても愛情を注げるのが良い母親なんだ」と本気で思っていたんです。
でも、次第に、「今まで、私は育児も、仕事も、副業も、ひいては家族との関係性も全て自分のやり方でしかなかった」という事に気付きました。
ひょっとして、
「私は今まで、間違ったやり方をしていたからこんなループにハマっているのかもしれない」
「やり方を変えるだけで、あさぎさんの言うように、仕事も、家族も、収入も、外見も、全て自分の理想を叶えていく事ができるのかもしれない」
「やっぱりこの人の言っている事を信じてみても良いかもしれない」
と思うようになりました。
そこからと言うもの、あさぎさんが教えてくれることは、やはり私が今まで「こうするのが正しい」「こうした方が良い」と思ってきた事とは全く違っていました。
「本当にこれで良いのかな?」と思う事や、選んだ事ない方を選ぶ事に最初は違和感を感じる事もありましたが、これまで自分が正しいと信じてきた生き方をしてきた結果、八方ふさがりになってしまった過去の経緯もあったので、あさぎさんの教えてくれる内容を実践し、行動を変えていきました。
あさぎさんの教えてくれる内容は、「このまま大変なワーママとして時間に追われストレスを抱えながらも頑張るしかないのか」と思っていた私にとって、目からウロコの内容ばかりでした。
自分は仕事に何を求めているのか、誰とどんな時間を過ごしていきたいと思っているのか、家族とはどんな関係でいたいと思っているのか、そんな自分の気持ちや本音を自分自身で気付くという事からスタートしたのでした。
徐々にしんどさが消えていった
あさぎさんに教えてもらった事を実践していくうちに、我が子と2人なのは変わらないのに、ずりばいをしたり、後追いや人見知りが激しくなって、正直手がかかるようになってはきていたにも関わらず、以前のように「我が子と一緒にいるのがしんどい」と思う頻度が確実に減っていきました。
帰りの遅い夫に対して、不機嫌になる事もなくなり、夫に対してモヤモヤする事もなくなっていきました。
さらに、我が子との関わりや母親としての自分に、全く罪悪感を抱く事がなくなりました。
何かに後悔したり、誰かに申し訳なさを感じながら過ごす事がなくなっていきました。
余裕を持つ事で生まれた家族の幸せ
これまで私が「母としてこうしなければならない」「父親なんだからこれくらいしてくれて当然」「育児や夫婦関係において、特にはお互い多少の我慢も必要」だと思っていた事が、あさぎさんと出会ってからというもの、全く違う考え方で、苦しくなく、みんな我慢せずに、育児も夫婦関係も上手くいくようになっていったのです。
例えイライラしたり不満に感じる事があったとしても、「その時だけストレスを発散して、また頑張る」というこれまでの方法以外の解決法で、根本的に自分の考え方が変わっていったことで、そもそも相手にイライラしたり不満に感じる事自体がどんどんなくなっていきました。
周りに対してそういう感情やストレスを抱える必要がなくなった事で、精神的に今までで一番楽になり、少しずつ余裕が生まれてきました。
もっと家族と笑顔で穏やかで幸せな日々を更新していきたい!というモチベーションさえ湧いてきました。
そして、少しずつ自分のやりたい事、本音ではどうしたいのか?に向き合い、本業の仕事についても今後どうしていきたいのかについて考え始めました。
これまで、「やらなければならない」と思い込んでいた自分、そして「やりたいと思っているわけではなかった」自分に気付き、同時に「実はずっと興味のあったやってみたい分野」があった事、そこに自らフタをしていた事に気付きました。
そして、「もうこれからは自分のやりたいと思う事ができる人生にしよう!」と思い、ずっと興味のあったやって見たい分野へ転職する事を決意したのです。
ワーママとしてのスタート
そこからというもの、我が子と過ごす時間もしんどさを感じる事がなくなっただけでなく、以前にようにしんどさに鞭を打って朝起きて仕事に行く事もなくなり、出勤中の電車でも憂鬱になる事なく、仕事に向かう事ができるようになりました。
そして、退勤後も時間に追われずに心にゆとりを持ちながらお迎えに行ったり、平日に自分の時間を満喫したりしながら、仕事と育児を頑張らずに両立するという自分でも信じられないような日々を過ごせています。
さらに、本業以外にも自分の得意分野に気付いて副業をスタートしたり、5年前からひそかにやりたいと思っていた、この自分のワードプレスブログを立ち上げる事までできたりと、何なら子どもが生まれる前よりも格段に自分のやりたい事をいくつも実現する事ができています。
時短勤務で給料が減る事をずっと恐れていたのですが、本業の収入は少し減ったものの、今や副業だけで産前の本業収入の2倍以上にもなり、お金の不安やストレスもなくなりました。
時間と心とお金に余裕ができたおかげで、いつも満たされた状態で、夫や我が子に対しても常に笑顔でいられます。
そして何よりも、我が子が1歳を迎えて育休から復帰した後も、仕事・家庭・育児の両立で周りから「大変でしょ?」と言われる生活になってからも、全くそのイライラや大変さが出てくる事なく、「今が一番、自分のやりたい事が全部できていて一番幸せかも!」と感じてしまう程です。
自分にとって、心からやりたい!やっていて楽しい!と感じる事を仕事にでき、時間に追われずに家族と過ごす時間も、自分1人だけの自由な時間も両方大切にしながら、自分らしく毎日過ごせるなんて、、、さらに、労働した分の対価を給料としてもらうだけでなく、事業所得として別の収入の柱まで確立する事ができ、将来のお金の不安からも解放されるなんて、、、時間と心とお金の自由を手に入れながら、大切な人たちとの時間を我慢せずに楽しめるようになった事は、もうこれ以上私の人生にとって幸せな事はありません。
この私が感じている変化は、近くで見ている家族にとっても明らかなようで、夫も「さーりんが変わって、俺まで生きやすくなった」「荒れていた妻の気持ちに寄り添って、ごめんというのが正直キツかったけど、今はそういう事がなくなって安心、、、ホッとした」と本音を漏らしています。笑
さらに、私の妹も「本当の姉ちゃんらしさが戻ったよね」「マジで激変したよね」と会う度に驚いています。
あの時に、妹に言われたひと言をきっかけに自分のこれまでの生き方ややり方を見直すきっかけになり、そこから自分の行動を一つずつ変える決断をして、本当に良かったと改めて思っています。
母との関係性
母との関わり方も、これまでと180度変わりました。
私はこれまで、母と少しでも考え方が合わないところがあると、「母の言う方が正解なのかな?」「やっぱり母の言う通りにした方が良いのかな?」と思って合わせるように選択したり、母の機嫌を取るように行動してみたり、モヤモヤがあっても流してみたりしていました。でも今回のお正月のように、自分の中での限界が来た途端、急に今までのイライラをぶつけるように言わなくて良い事まで言い放ってしまったり、それで相手を酷く傷つけてしまい、後から後悔する事も少なくありませんでした。
あさぎさんが教えてくれた「人間関係の悩みから解放されるコミュニケーション方法」を理解する事で、私がこれまで母をはじめ相手に対してモヤモヤしては呑み込んだり、時には自分の意見の方が正しいと相手を論破しようとしてキレたりしていたのは、全て相手を自分を無意識に上下の関係に捉えて、「誰の方が正しいのか?」「どっちが良いのか?」の答えを追い求めてきたからだと気付きました。そこから横の関係で付き合えるようになった事で、やっとの話を聞き、相手がなぜそう思っているのかを理解しようとする聞き方ができるようになり、お互いに取ってストレスのない人間関係を築くことができるようになりました。
母とはいまだに育児やお金の使い方など、いろいろな場面でお互い意見が食い違ったりする事がありますが、それでも母に対してもやもやしたり、母に合わせて会話をしたりせずとも、やっとお互いを尊重し合う事ができるようになり、自分も母も大切にできるようになりました。
さらに、私と会話する事で、母自身もこのあさぎさん流のコミュニケーション方法を自然に取り入れられるようになっているようで、「娘と話すと、気付きの連続!!」「母さんにとってモヤモヤしていた近所の人との関係が解決できた」「今までの人生で一番楽しい」と言われるようになった程です。
少しずつだけど一番着実な変化
育休中に我が子が動き始めて目が離せなくなってきた頃から、自分1人で1日中我が子の面倒を見ているのが息が詰まりそうになってきていた私は、この状況を何とかせねばと思ってネットで検索したり、信頼できる人に相談したりと努力はしているつもりでした。
でも、結局は「母親である私がもっとしっかりしなきゃいけない」、「めんどくさがったり甘えたりしている自分はダメ人間だから、ちゃんとしなきゃいけない」「周りの人たちに対してイライラしたりモヤモヤしてしまう自分は心が狭いから、もっと自分の器を広げて何があってもイライラしない大人にならなければいけない」と本気で思っていました。
だから、あさぎさん自身が家族や周りの人たちとどう関わっているかという具体的な方法や、意見が違った時の考え方を知る事ができ、私にとってこれまで何十年も抱えてきた人間関係でのストレスが一気に減り、人生がガラッと変わったと感じています。
仕事と育児をストレスなく両立したり、親や夫、我が子など周りの人たちとの関係性を壊さずにお互いを尊重していくためには、自分がもっと努力して、欠点をなくし、マルチに何でも器用にこなせる自分になろうとする考え方を手放すというのが最大のポイントだと学びました。
そして、「そのための正しい方法を知り、それを実践し自分の行動に変えていけるか」こそ、その後の自分の人生をもっとより良く、我慢とストレスと忍耐から脱却し、自分らしく自由にストレスなく過ごしていくために必要なんだという事を実感しました。
育休に入りたての頃のように毎日余裕を手にいれ、笑顔で幸せな日常に戻る事ができてからは、私は自分の仕事の方向性や、我が子の教育の事について考える時間も大幅に増えていきました。
余裕ができた分で、夫とご飯を食べながらゆっくり今後のお互いのやりたい事について語り合ったり、母の第二の人生プランについて一緒にワクワクしたり、自我が出てきて「あれはイヤ。これもイヤ。」と中々こちらの想い通りにはすすまない我が子との時間も、全て愛おしく幸せだなと感じています。
以前だったらイライラしてしまったような母の周りからの電話も、どんなに長時間でも「結婚してもこうして親や兄弟と仲が良い家族関係なんだなぁ。素敵だなぁ。」と思います。夫が大学の友人と深夜まで飲んで酔っ払って帰ってきても、「楽しい時間を過ごせて良かったね。私も見たいアーガイブ動画見れてひとり時間充実してた~ありがとう」と感謝まで湧いてきたりします。
たまに私が友人と飲みに行きたいと思った日は、夫はなるべく早く帰れるように段取りをつけてくれて、快く送り出し、「息子との男同士の時間を楽しめたわ」と笑顔で報告してくれたりします。
そして、私はついに「自分の人生を自分で創り上げていく」「社会や他人、職場からコントロールされる生き方はもうしない」と決意し、本業は数年後の独立に向けて動き始めました。
さらに、子どもの教育環境も最高のものを提供したいと思うようになり、海外移住も夢に掲げ、それを叶えるためのライフキャリアプランとして、不動産賃貸業を開始し、法人を設立し、一棟目にして本業の2.5倍以上の家賃年収を得られる物件を手に入れました。
さらに、これからも「自分のやりたいと思う事だけにシフトする」を軸に、時間と場所とお金の自由をもっと手に入れるために、自分の法人も、本業も拡大予定です。
ここまでが、育休中に仕事復帰したくないと悩むようになり、そこからたった1年で激変できた話です。
過去の私と同じように悩む女性へ
我慢せずにもっと幸せになれる方法を伝えたい
私は、育休中に自分が本当にやりたい事は何なのか、このまま前の職場に復帰して、毎日時間に追われるように仕事と保育園と自宅の往復で、各部署に頭を下げながら必死に日々をこなす大変なワーママとして生きていくしかないのか、そんな事を考えながら今後の自分の人生に正直軽く絶望していました。
自ら望んだはずの結婚、妊娠。
家庭と仕事を両立しながら幸せで充実した人生を思い描いていた一方で、職場の周りの先輩ママさんはみんな大変そうな顔で、大変そうな話しか聞いたことがありませんでした。
そこから、あさぎさんと出会い、仕事と家庭の両立も、外見も収入もやりたい事も全部、頑張らずに叶える方法があって、それを実現させている女性たちがいる事に衝撃を受けました。
やっぱりこのまま
普通で大変な人生で終わらせたくない!!!
もっと自分らしく
心から楽しいと思える仕事をして、
家族とはもっと毎日笑顔で過ごせて、
お金の不安からも時間に追われる生活からも
抜け出したい!
もっと自分の人生を楽しみたい!
女性としてももっと輝きたい!
そんな心の奥底に眠っていた思い(=欲望)に気付き、震える手で申し込み時間のギリギリに魅力覚醒講座の18期に飛び込みました。
そこから、仕事はずっと興味のあった業界に転職して毎日仕事の楽しさを味わいながらワーママとしてスタート。
夫との関係性も、我が子との関わり方も、実母とも、友人関係も、人間関係でのストレスがほとんどなくなりました。
自分で事業を開始し、ブログ発信や不動産賃貸業を通して法人を設立。
ストック型の収入で、毎月自動的に収入が入ってくる仕組みも整えて、時間とお金の自由も少しずつ手にしていました。
やりたかった事を見つけて、それを少しずつ叶えていっている自分の人生、今は心から最高だなと思えるようになっていました。
振り返ると、1日で何かミラクルが起きて劇的に変化した訳ではなく、本当に少しずつ、螺旋階段を1段ずつのぼっていくような感じで、着実に小さな変化を積み重ねてきたのがこの変化なんだと思います。
そのきっかけは間違いなく魅力覚醒講座で、これまで習ったことのない斬新で画期的で一生ものの考え方を手にし、一緒に人生をより良くしたいと思える素敵な女性たち(アサギスト)と進んでこれたからに過ぎません。
もし、ここまでの内容を読んで少しでも過去の私のような思いに共感して下さったり、まさに同じような悩みを抱えていらっしゃる方がいたら、「魅力覚醒講座をきっかけにして、一緒に人生を好転させていきましょう」と伝えたいです。
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